「虎鮫島脱獄」

物語は1865年、つまり南北戦争終了の年から始まります。

リンカーン大統領(フランク・マクグリン・シニア)が暗殺され、犯人のジョン・ウィルクス・ブース(フランシス・マクドナルド)が逃亡、骨折したブースを治療した医師のサム・マッド(ワーナー・バクスター)が共謀者とみなされ逮捕されます。

夫の無実を信じる妻ペギー(グロリア・“タイタニック”・スチュワート)の思いもむなしくマッド医師は終身刑となり虎鮫島の監獄に収容されます。

ペギーは父親の元南軍大佐の協力を得て夫を脱獄させようとする、という展開です。

最初にリンカーン暗殺という歴史的大事件を描き、続いて南部で平穏に暮らす医師夫婦を描きます。

治療代2ドルの請求に50ドル置いていった患者が暗殺犯と知らず、50ドルを得た幸せに酔う夫婦。こういう描写がおもしろいです。

最初、間違いだから返さないとという妻のセリフなんかもいいです。

医師が無実の罪で収監されるのですが、看守たちが大統領暗殺犯だと決めてかかり、“死ぬよりもつらい目に遭わせてやる”と脅されます。この看守たちの中軸がジョン・キャラダイン。強烈な悪役振りです。

中古車査定高額車買取のカウル君

「Peace, Love, & Misunderstanding」

ニューヨークで弁護士をしているダイアン(キャスリーン・キーナー)は、夫(カイル・マクラクラン)と離婚することを決意します。その前に少し、20年間会っていない母親グレイス(ジェーン・フォンダ)の所へ、娘ゾーイ(エリザベス・オルセン)と息子ジュード(ジェフリー・ディーン・モーガン)を連れて出かけます。母親グレースはウッドストックに住んでいて、そこでは今なおヒッヒー風の生活を楽しんでいる。ダイアンはそんな母親とそりが合わず、20年もご無沙汰していたわけです。ゾーイとジュードは、祖母の家に着くときに両親の離婚を知らされ、母親は“それについて話したくない”と話題にしません。そしてヒッピー風の田舎生活で、母親も子供たちも、それぞれ適度なパートナーを見つける、という展開です。

題名のピースとラブは、まさしくウッドストック・コンサートの標語でした。母親のグレースは“スカボロー・フェア”をハミングしてるし、娘のダイアンはザ・バンドの“ザ・ウェイト”を歌うという調子で、僕のようなウッドストック世代にはとても分かりやすいし懐かしいです。

Columbus Circle

物語は、ニューヨークのコロンバス・サークル近くにある高級マンションが舞台。幼いころフラフープのチャンピオンになったことのある大金持ちの跡取り娘アビゲイル(セルマ・ブレア)が、今は外出恐怖症でペントハウスに閉じこもっています。その向かいの部屋で殺人事件が起こる。ガルデロ刑事(ジョバンニ・リビージ)が調査に訪れてもなかなか鍵を開けない。殺人事件があったにもかかわらずその部屋に新たなカップル(ジェイソン・リーとエイミー・スマート)が入居する、という展開です。

結局セルマ・ブレアが狙われるわけですが、彼女なら多少の賊なんか素手でたたき出しちゃうんじゃないのという印象を持っているのでこの映画はちょっと合いませんでした。ジェイソン・リーがパートナーのエイミー・スマートにDVする男に見えないこともあって。

監督・脚本のジョージ・ギャロって、「ミッドナイト・ラン」の脚本だそうです。あの映画は面白く見たけど、だからってこの映画は、ねぇ。と同意を求めてもみんな見ていないと思うけど。

そうそう今回は脚本にケビン・ポラックが加わっていて、ペントハウスのコンシェルジュとして出演もしてるんでした。←忘れていた。セルマ・ブレアの後見弁護士役でボー・ブリッジスも出ています。いちおうスターの数は揃っているけど、これという決め手のない配役です。

「グリース」

ダニー・ズーコ(ジョン・トラボルタ)は夏休みにサンディ(オリビア・ニュートン・ジョン)と知り合いますが、そのサンディが新学期にダニーの高校へ転校してきます。ダニーは仲間のキニキー(ジェフ・コナウェイ)たちとバリバリいわしていたのですが、サンディはそれを知ってびっくりです。

しかしキニキーの彼女であるベティ・リゾ(ストッカード・チャニング)らと親しくなり、やがてプロムを迎える、という展開です。

製作が「サタデー・ナイト・フィーバー」で当てたロバート・スティグウッドで、この映画もサントラ盤とのメディアミックス戦略で大当たりしました。

とりあえずフランキー・バリのタイトル曲以外はすべて“50年代”していて、ふた昔前の音楽として何の抵抗もなく受け入れられました。僕としては“サンドラ・ディー”がどうしたこうしたとか、タイトルバックにいろいろ映画ポスターのようなものが並んでいるとか、映画トリビアネタが楽しかった。

「風にそよぐ草」

物語は、女性歯科医マルグリット・ミュール(サビーヌ・アゼマ)がショッピングモールで靴を買った直後、引ったくりに遭いバッグを盗まれます。現金や証明書類の入った財布ともども。しかたなく靴を買った店に事情を話して換金してもらい自宅に帰る。一方、ジョルジュ・パレ(アンドレ・デュソリエ)自分の車が駐車していたところに財布が落ちているのを発見します。もちろん現金は抜き取られているけど証明書類は無事。名前から電話番号を調べて連絡をとろうとしますがうまくいかず、結局警察に届けることに、という展開です。

まず、靴を買うマルグリットの顔を見せず、財布の中の証明書の写真もはっきりと見せないで展開する手法がほほえましい。一人称カメラにナレーションという古風なスタイルにもかかわらず、意外な展開で見る者の心をつかまえます。カメラがまたクレーンアップしたり俯瞰にしたりと自由自在であきれます。

これこそ“映画の文体”というやつでしょう。86歳にしてこの華麗な語り口というのはすごいと思いました。

冒頭にマルグリットの顔を見せないので(風呂に入っている顔のアップだけ)、僕みたいなずぼらな観客にはどれがマルグリットか分からない。それが中盤から双方の顔を十分覚えたあと、二人が始めて対面するという場面では、こちらが二人の顔を知り尽くしているだけに、初対面だが分かりあうというこの映画のポイントが無理なく受け入れられるわけです。いやはや、久しぶりにこういう古典的な映画技法を楽しませてもらいました。現実にはありえない展開ですが、それこそが映画マジックです。

「50/50 フィフティ・フィフティ」

物語は、27歳になるシアトルのラジオ局に勤めるアダム(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)が、突然ガンを宣告され治癒率は50%だと告知されるというもの。友人のカイル(セス・ローゲン)、母親(アンジェリカ・ヒューストン)らが、いろいろと世話をします。

アダムの恋人で、ほぼ同居している女性レイチェルを、ブライス・ダラス・ハワードが演じていました。先日「ヘルプ」を見ていい感じだったので、今回も好感を持って見ました。カウンセラーがアナ・ケンドリック。この女優さんを見ると、なんか僕はおさまりが悪くて。つまり、イマイチ感情移入ができない人なんです。嫌いなタイプではないはずなのに、“なんや、ガキやんけ”という印象が強い。その点、ブライス・ダラス・ハワードは三十路に近づいたこともあり落ち着いた印象があります。

びっくりしたのはアンジェリカ・ヒューストン。こんなに優しい彼女を最近見たことがないと思ったもので。母親がこれだったら、亭主がアルツハイマーになるのも納得だし、息子が電話に出ないというのも分かると思って見ていたのですが、どんどん優しく愛情深い母親となっていくので驚きました。

「過去をもつ愛情」

第二次大戦に従軍してアフリカ戦線で落下傘部隊として活躍したピエール・ルービエ(ダニエル・ジェラン)は、久しぶりに自宅に戻ると妻が別の男とベッドにいるところを発見、怒りに任せて撃ち殺してしまいます。しかし弁護士の弁舌の巧みさで無罪の評決を得て釈放、パリには住めなくてリスボンへと移住します。そしてタクシー運転手として暮らしていたら、イギリスの貴族と結婚したフランス人女性カトリーヌ(フランソワーズ・アルヌール)を乗せます。カトリーヌの夫は事故死して、遺産を相続したけれど遺族たちに疎まれて逃げてきたということ。共に過去を持つ2人が恋に落ちる、という展開です。

この映画のポイントは、まずアマリア・ロドリゲスが歌う主題歌です。“ファド”というポルトガルの歌謡を世界的に広めた(少なくとも僕はこの作品で初めて知った)わけで、陰影深い歌声がとても印象的でした。

そして映画としての魅力の大半は、フランソワーズ・アルヌールの肢体にあると言っていいでしょう。

この女優さんは小柄でスレンダーですが、服の下からむんむんと色気が漂っています。

物語は、CMプロデューサーのジャック(アダム・サンドラー)には双子の妹ジル(アダム・サンドラーの二役)がいて、休暇で泊まりに来るという話になりうんざりしています。ジャックは大スターのアル・パチーノをCMに起用しようと躍起なのですが、ジルの相手もしなくてはいけない。

ところがジルと一緒に見に行ったバスケットの試合でパチーノと会い、パチーノがジルに一目ぼれしてしまう、という展開です。

ともかく、なにしろオナラなど僕が下品だと考えているギャグ(として成立していないけど)が多すぎます。

僕が笑ったのは、双子の間にはテレパシーみたいなものがあるという話の中で、“ESPNとかエスパーとかいうやつ”というところです。

すかさず“ESPNはテレビよ”と突込みが入ります。

“ジェームズ・スチュワート主演のクリスマスになったらいつも放送する映画”というセリフ。

「素晴らしき哉、人生」という答えに、“それじゃなくて”と「素晴らしき哉、人生」の一場面を説明する。これが“ジュリア・ロバーツが娼婦の映画”、ときて「プリティ・ウーマン」というと、“それじゃなくて”と「プリティ・ウーマン」の一場面を説明する。これって僕にはサイテーです。僕にはダメでした。

「フェイズ IV/戦慄!昆虫パニック」

物語は、アメリカの砂漠でアリが今までと違う生態をしていると科学者が発見し、政府はその科学者ハブス(ナイジェル・ダベンポート)と科学者が推薦する軍人レスコ(マイケル・マーフィ)に観察させます。近隣住民たちを避難させていたのに、自分の土地だと居座っていた老夫婦がアリに殺され、その家から孫娘ケンドラ(リン・フレデリック)が見つかる、という展開です。

知性を持ったアリと人間の戦いという筋書きですが、ソウル・バスの興味はその物語を語ることではなく、知性を持ったアリというものの生態をどう視覚化するかでした。もちろん物語も、アリに襲われて人間がパニくるという部分が主眼ではなく、だからビジュアルなSF映画としてなかなかのものとなっているわけです。

とはいえ、これがソウル・バスの作品でなかったら、ここまで注目されたかどうかです。無名の監督による作品なら、注目度は低くてもそれなりの評価があったと思います。僕なんかソウル・バスという名前に期待してしまい、なんだこんなもんかという印象でした。

「フロント・ページ」

ビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモン、ウォルター・マッソー主演という1974年作品です。初めて見たとき、いわゆるスクリューボール・コメディというやつに感心しました。だから僕の1975年のベストワンはこの映画です。今見直すと、ビリー・ワイルダーならもっと上質の作品が幾つもありますね。でもあのころは、アメリカン・ニューシネマの新鮮さが、エピゴーネンの続出で食傷気味となっていた時期だから、この映画にはまりました。それに「ヒズ・ガール・フライデー」もビデオで見ているし。でも今見直すと、スーザン・サランドンが若くて美しいです。

市長がハロルド・グールドで保安官がビンセント・ガーディニア、記者たちがデビッド・ウェイン、アレン・ガーフィールド、チャールズダーニング、ハーブ・エデルマンと、ちょうど「傍役グラフィティ」の面々が勢ぞろいしています。そのあたりが僕には高評価となったわけです。シニカルなジョークが面白かったです。

Just another WordPress site